みなさん、こんにちは!志方です。
昨日は村の行事で更新できませんでした。4月は月・水・金曜日は更新できなくなるので、日数のカウントダウンは飛び飛びになることをご承知おきください。
農作業も始まった中、ウルトラマラソンに向けて日々走っております。まだ日にちも40日以上もあるので、100㎞も走る実感はまだありませんが、あと20日とかになると焦ってくるんだと思います。
昨日は6㎞jog、今日は16㎞jog

昨日は1000mのインターバルの翌日ということもありましたので、ゆっくり目のペースで走りました。疲労取り目的ですね。昨日は忙しかったので距離が余計に短くなりましたが、忙しくなくても強度の高い練習の翌日は8㎞~10㎞jogとしています。
メリハリをつける意味でもここは距離を短くしていますし、こういった日はペースが上がらないようにしています。とはいえ昨日はアベレージ4'30"/kmと少し速かったです。(時間がなかったので早く終わらせようとした。)
今日は16㎞jogをこちらはペースは普段通りで結構速めですが、しんどくなりすぎないように走りました。距離は普段だと14㎞か15㎞としているのですが、ウルトラマラソンもあるということで気持ち長めに走りました。
ウルトラマラソンじゃなくてフルマラソンを走るとしても普段からこのぐらい走れるようにしていきたいですね。
アベレージのペースは4'15"/kmで後半向かい風だったので、そこは普通にきつかったです。向かい風でもウルトラマラソンはもっと過酷なんだろうな~と考えながら走っていたので、精神的にはいい練習になったんじゃないでしょうか(笑)
明日はウルトラマラソンに向けて坂を使ってjogをしたいと思います。
おまけの話 ~実業団時代~

僕は大学2年生の頃から徐々に走れなくなっていき、大学4年と社会人2年目の秋までは本当に情けない走りしかできませんでした。
大学4年の時は5000mで15分かかっていましたし、練習も離れまくってBチームに落とされても離れまくりました。なんとか秋以降持ち直して、箱根の16人のメンバーに入りましたが、当日変更で箱根を走ることすらできませんでした。
そこから大学を卒業して、旭化成に入社して陸上部に入部することになるのですが、入る前から箱根を走れない選手が旭化成に入ってもいいのか?とずっと不安というか葛藤というか旭化成に入ることに後ろめたさがありました。
箱根走れないならまだしも、大学2年生の頃からまともにトラックやロードで成績も出せていないので、大丈夫かなぁという心配が常につきまといました。
当時の監督は"高卒は育てるけど、大卒は即戦力"という雰囲気をプンプン出していたのでそれもあったので自分はここにいるべきなのか?と思っていました。
そんな中で、状態も良くなくハードな旭化成のメニューだったので、出されたメニューはとりあえずやりました。ただ走りが最悪だったので、こなせるはずはなくチームメイトから離れてばっかりでした。
練習についていけたことは一度もなく、それでも何度も何度も挑みました。
旭化成の伝統的に強度の高いメニューをやらせて最初はできないけど、何度もキツイ思いすることでだんだんできるようになってくるドラゴンボールのサイヤ人の特性のような考えがあったので、僕もそうなるようにやり続けました。
多分このやり方は素質があるけど、まだ力不足な高卒の選手に当てはまるのであって、僕のように走り方を忘れてしまって走れないような選手に通用しないんだと思います。
本当に1年目は拷問のような日々を送り、毎日会社に行くのも社員の方に走れてないことが申し訳ないような気がして暗い気持ちで業務を行っていました。
2年目の秋までこのような状態が続いて、もう辞めようかなと思った時に"どうせ辞めるのなら自分の立てたメニューでやって走れるようになったらラッキー、ダメでも納得ができる"と思い自分でメニューを立てるようにしました。
自分でメニューを立てたはいいけどそれでもやはり自分の中で、"このぐらいのタイムで走らないといけない"という気持ちがあって、それが当時の自分にとって速すぎました。
それで1回目のインターバルはきつくて途中でやめてしまい、2回目の1600mのインターバルをする前にコーチである川嶋さんに
川嶋さん「今日は何秒でいくつもり?」
志方 「3分ペースでいきたいので、400m72秒でいきます。」
川嶋さん しばらく考える
川嶋さん 「3分10秒ペースでいいよ。400m76秒で行こう。」
志方頭の中 (そんなゆっくりでいいの?まぁ川嶋さんが言うんだしそれでいってみるか)
川嶋さんとのこのやり取りが僕の中の固定観念を壊してくれて、今となっては当然のことだとわかるんですけど、自分の今の状態にあったペースでやるのが練習なんだと気づきました。
それまではプライド(しょぼい)もありましたし、旭化成でやっている以上はこのぐらいのペースでやらないとという変な考え方がありました。
そこからメニューも自分のできるペースに変えて、できるようになったら少し設定ペースを上げてとやっていくうちに、引退直前には今まで一度も練習につけなかった自分がついていけるようになりました。
結局そのまま引退となりましたが、最後自分がまともに走れるんだということがわかっただけでも良かったです。それまでは自分は才能がないとずっと思っていましたから。
まとめると、人の意見や周りの目を気にして練習をするのではなく、自分にはどういった練習が必要なのかというのを考えて行ったら強くなれるんだと思います。僕の場合は、こういう練習をしたら評価が上がるとかそんなことばっかり気にしていたので、誰のための練習かわからなくなっていましたね。
明日からもケガに気を付けてウルトラマラソンの練習をしていきたいと思います。(農作業もがんばる)
最後まで読んでいただきありがとうございました。