前回からのつづきです。
https://runfarmer-shikata.com/?p=483
いよいよレースを出るのが恐怖に

復帰最初のレースはそんな感じで少し引っかかりながらも、復帰戦だし次頑張ればいいやぐらいにしか考えてなかったです。
そんな次のレースは関東インカレ10000mでした。
練習も完璧にできていたし、調子も上々だったので入賞できる感じもあり、自信を持って挑みました。
レースも序盤から余裕もあり、どこで仕掛けようかとも考えていました。でも3000mを過ぎた途端、あの日体大記録会の時のような左脚
の変な感覚が襲いました。左脚だけ言うことが聞かない、リズムがおかしい、それで余裕だったのにペースダウンをするしかできなくなり、このレースはここで終了しました。
結局順位もよく覚えてないぐらいの順位で、これ以降レースに出るのが恐くなり始めました。
練習では、速いペースで走るのはせいぜい3000mまでで3000mまではなんとかこの症状が出ないか、出たとしても強引に走ることで練習はうまく消化できていました。ただ得意だったペース走やビルドアップ走はたまに症状が出て途中でやめることが増えてきました。
練習ではそこまで症状がでないものだから、よく"練習できているのに、レースで走れないのは精神的に弱いからだ"と言われました。
自分がぬけぬけ病についてうまく周囲に伝えられてなかったのが悪いですが、正直メンタルが弱いというので片づけられるのはものすごく腹が立っていました。
でも結果が出ていないから言い返せない自分にも腹が立っていました。
精神的に弱いと言ってくる人には"この症状をわからない人に言われたくない!!"と思っていましたが、その人がこの症状をわかるはずもないですし、症状のせいで、気持ちが落ちているのは事実なのでそう言われてしまうのは仕方ないのかなという気もします。でももう少しこちらの気持ちを考えた発言をしてほしいなという複雑な感情が入り混じっていました。
出るレースほぼ全てでこの症状が出たのですが、何が嫌かといいますと、ちょっときつくなってきたけどここから頑張り時だというタイミングで症状が出ることです。まだ頑張れるのにこの症状のせいでペースを落とさざるを得ないというのが終わった後、モヤモヤした気持ちになります。
自分の全力を出し切って、結果が出ないのであれば取り組み方やレース運び、心構えを見直せるのですが、なんか自分の力を出し切った感じがなく、症状のせいだけで力を出せていないというのがもどかしく気持ち悪かったです。
ギリギリ症状を回避した箱根駅伝 8区

大2の頃の箱根駅伝は8区を走らせてもらったのですが、以前の記事でも書いたように集中練習では調子よくこなせていて集中練習中はその症状は全くでなかったです。しかし、集中練習が終わったあと急にぬけぬけ病が再度で初めて、余裕を持ってできる練習なのに症状がでるせいでぎりぎりの感じでこなす感じになり、レース直前では調子は下降気味でした。
ぬけぬけ病も頻発するので、レースの1週間前ぐらいに渡辺さんに"もし症状が出たら屈伸して一旦止まってもいいですか?"と聞いたところ、渡辺さんにいいよ!と言われたので、少しだけ気持ちが軽くなったのを思い出します。
実際のレースはやっぱり3㎞ぐらいできそうな兆候があり、終わった~と思ったのですが少しペースダウンさせて落ち着かせてから、もう一度走りを戻しました。そしたら症状も収まりその後は順調に走れました。結果は区間2位と上場の成績だったのですが、やっぱり症状のせいで前半から突っ込んでリズムを作れなかったので3'00"/kmペースで行くことができず、本来のレースではなかったなと思います。
区間賞だった東洋大の大津は記録としてかなりよかったので、区間賞は取れなかったにしろ本来だと大津との差を10秒ぐらいで走れたのではないかなと思います。
なんとか走り切れたのでほっとしましたが、やっぱり症状のせいで上手く走れなかったのでモヤモヤしていました。
症状の影響で走りも悪く

ここまでは症状がでるせいでペースダウンするしか影響はなかったのですが、だんだん自分のフォームにも影響をし始めました。多分走れないというイメージが強くなりすぎたのかわかりませんがなんかブレが多かったり、躍動感がなくなっているような感じで地を這っているような走りになっていました。
レースは2年時よりもさらに3年時さらに4年時と学年を追うごとに悪くなっていきました。
だんだん部にいるのも申し訳ない気持ちになったり、実業団に進むことが決まってましたが、実業団でやるべきなのか?でも競技は続けたいけど他に道はないし...と自分の成績を上げていこうとか世界を目指すとかそんなことはほとんど考えられなくなっていました。
レースでこのタイムで走りたいというより、いますぐにこの症状がなくなってほしい。誰か左脚を交換してほしいとこんなことばかり考えていました。
結局4年生の箱根駅伝も直前の練習でこの症状が出て離れてしまい、10区でエントリーされましたが、当日変更という結果になりました。それに対しても悔しいという気持ちもありましたが、ぬけぬけ病の苦しさを味わなくていいと思うとほっとする気持ちもありました。
だんだん競技者という上を目指す気持ちよりも、いち早くこの症状を消したいという気持ちで毎日が支配されていました。
実業団そして引退へ

実業団は旭化成だったということもあり、入社してほとんど練習で付いていけたことはありませんでした。
症状もありましたが、さきほど書いた症状の影響によるフォームの崩れが大きく、さらにレベルの高い練習でさらにフォームが崩れの悪循環で、過去最悪の状態でした。たぶん中学生の自分にも負けるのではないかというぐらいひどく、チームスタッフの目がつらかったです。
最後の方にこのままではダメだと思って、チームの練習ではなく自分でメニューを作って、自分で練習をやるようにしました。するとどんどん調子を取り戻し、ようやくチームの練習についていけるぐらいになりました。
宗さん兄弟の茂さんからは"志方いきなりどうしたの!?"走れる自分に対して入社後初めてといっていいぐらい話しかけてもらえました。総監督の猛さんからには"あいつを辞めさせるのはもったいない"と言ってもらえるぐらい良くなっていました。
でもやっぱりぬけぬけ病はひどくはないですが、相変わらず出ていました。
そんな中、最後のレースとなった玉名ハーフマラソン
今までだと下手したら、70分ぐらいかかっていた自分でしたが、10㎞を30分ぐらいで通過することができ上々の出だし、ですが後半は失速して結果は10位で65分10秒とワーストタイムでした。
このレースでぬけぬけ病は出なくて、あと気温も3月なのに20度ぐらいあった中だったので、この結果には特に悪い印象はなかったです。ですが、ここで63分台で走っていれば何かしらの形で競技を続けられていたと思うと、ダメだったなと思います。
そんな感じで競技を引退して、ようやくぬけぬけ病の呪縛から解放されましたが、趣味で走っていてもやっぱり元競技者なのでだんだんインターバルやペース走をし始めてしまいます。そうするとやっぱり症状は出てきました。引退して何年も経つのにな~
ちょっと改善の兆し 終わり

それでもようやく最近改善されつつあります。ひとつは腕の振りを良くしたことが要因かなと思います。
過去の自分の走っている動画とかを見ると右腕があまり振れていなくてあまり腕振りを重要視していませんでした。
現役のころはこれまで書いた通り、すぐに改善することばかり考えて、脚が抜けるんだから脚に問題があるとばかり思って腕は全く考えていませんでした。それを右腕も左腕と同じ感じに振れるように改善していったところ、症状が出る頻度がかなり下がりました。それでもやっぱり出るときは出るんですけどね...。
あとはお尻の筋肉もやっぱり落ちているとABCRの代表兼トレーナーの菅原さんに指摘されて、そこがもしかしたら、左脚がぬける原因かもよとも言われているのでそこも改善していっているところです。
発症してしまったら、治らないと言われたぬけぬけ病ですが、中には克服したという方もいらっしゃいます。
確かにこの症状が出る中で気持ちを強く持てというのは難しいです。落ち込まずにやれている人はメンタルぶっ飛んでるか、あまり競技にたいして執着していない人だと思います。でも言いたいのは視野を狭くするのではなく、一度引いてみるのもいいかなと思います。
もう走れないなら、割り切って旅に出かけたり違うことを始めてみたり、今の時代だったら一度競技を離れてもSNSという協力なツールがあるので、いろんな形でカムバックすることができます。生き方は一つじゃないですし、競技者としてやっていくにはこうじゃないといけないというのは昔ほどなくなってきているのではないかなと思います。プロ選手も増えてきましたし。
そうやって別の経験を積むことで今まで見えなかった見方をすることができますし、それで実は全然見なかったところに改善点が見えてくるかもしれません。これを読んでくれた人の中でぬけぬけ病でもし苦しんでいる方がいましたら、一人で悩むのではなく誰かを頼ったり、SNSを活用して改善方法を探ってみたり、あるいは先ほど書いた通り離れてみたり。少しでも悩むことから解き放たれてくれたらなと思います。
今日は長くなってしまいましたが、これで終わりたいと思います。
最後まで読んでいただきましてありがとうございました。